「正しさ」という呪縛
Kalemwamonekepo! (ベンバ語で「久しぶり!」)
お久しぶりです!Mwenyaです。
私たち協力隊員はCOVID-19の影響で3月に日本へ強制帰国となり、現在は日本で過ごしています。
この期間は施設や自宅での待機を強いられ思うように外に出ることはできませんでしたが、
ビデオ通話で他の隊員と活動報告をし合ったり、母校の大学でオンライン講演をさせて頂いたりと、充実した時間を過ごしていました。
特に母校の学生からは講演の内容にかなりの反響があって、集まった質問や感想に刺激をもらいました…!
ところで、今後について。
私はザンビアでの日々を通し、大きな気付きがあり、進路についての考えががらりと変わりました。
そこで、まだ具体的にはお伝えしませんが、今後はいわゆる「国際協力」とは別の道に進むつもりです。
その気付きとは何か。
それは、
「幸せに正解なんてない」
ということです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は小さい頃から、
「正しさ」を追い求めていた気がします。
イジメを身近に経験したり、やんちゃして暴れる同級生の様子を見たりして、
「私はこうは絶対にならない」
と正義感を強めていた小・中学生時代。
そしてそんな頃に本やテレビで開発途上国の様子を知って、
「ここには解決しなければならない"負"があるんだ、私がなんとかしなきゃ」
と思うようになりました。
その後、大学での講義、短期ボランティア、スタディツアー、国際協力NGOインターンなどを通して
少しずつ「国際協力」というものへの違和感には気付いていったものの、
途上国の現場を長期間見たことがなかったため
「国際協力=正」という根本のイメージが揺らぐことはありませんでした。
ところが。
協力隊としてザンビアの現場で見たものは、それまでのキラキラしたイメージをまるで覆すかのような、現実的で生々しいものでした。
「援助ビジネス」の恩恵に最大限あやかろうと、先進国ドナーの調子に合わせて建前で動くザンビア人。
先進国が村に援助に入ることで、「自分達は貧しいんだ、かわいそうなんだ」と価値観を塗り替えられてしまう村人たち。
「命は大事という価値観は世界共通だろう、だから保健医療の分野で活動しよう」と決めた私の考えに反して、
生きること、死ぬことでさえも「神様が決めること」として受け入れる人。
どんなに何かを失っても、どんなに世界が変わっても
明日への希望に満ちて笑顔を絶やさない人たち。
そこには、
「正しいもの」なんてなかった。
絶対的な「負」なんてなかった。
あるのは、
一人一人にとっての幸せ
それだけだった。
廻り廻って、何年もかけて
ようやくこの答えに行き着いた気がします。
だから、これから私ができることは
縁あって私と出逢ってくれた全ての人を
その人にとっての「幸せ」に導くこと。
限りある生だからこそ、その中で
生き生きと輝けるようにすること。
それが、きっと私の使命なんだと
今は実感しています。
今日も世界はまだまだ混乱の最中にあり、
先の見えない状況です。
きっと世界を見れば、
支えを必要としている人は沢山いるはず。
でも今は、
私が日本に生まれたことも
きっと何かの縁なんじゃないかと感じています。
日本に生まれて、
日本人として生きているからこそ、
ここでできることがある。
だからまずは、足元から始めてみようと思います。
ここがきっと、
新しいスタートライン。
最近のMake Your Project
Mwasambilila shani? (学んでいる人への"How are you?" ≒ 勉強どう?)
こんにちは!最近ザンビアの治安が悪化している影響でどんどん予定がなくなりしょげているMwenyaです。
*大統領選を来年に控えているせいか、全国的に毒ガス散布や暴動などの事件が頻発しています。
普段はとっても平和で穏やかなザンビアなのですが、渡航を検討されている方は十分お気を付け下さい!
ところで、最近のMake Your Projectの状況について。
①第3回ミーティングを開催!
プロジェクトのリーダーを対象とした、リーダーミーティングを開催しました。
目的は、アクションプランに沿った活動(今回の場合は家畜放牧取り締まり)について、これまでの進捗状況について確認すること。
リーダーには、PDCAサイクルのC(Check)のステップだと説明しました。
リーダーと少人数でじっくり話し合いたかったので、今回の参加者はリーダーのみで、リーダー達が一緒に活動した協力者がいれば連れてきてよいということにしました。
そしてリーダー4人(1人欠席)が集まったほか、協力者の村人1人が初参加。
(でもまさか、この村人が今回のキーポイントになるとは…!)
序盤は進捗状況の確認。
どのエリアまでの何世帯に家畜放牧の取り締まりを行ったか確認しました。
前回のミーティングで「取り締まった世帯の名前とエリアをノートに記録する」ことを決めたのですが、きちんと伝わっていなかったのか彼らはやっておらず。
「記録したら、どこの世帯がまだでどこのエリアにアプローチをかけていったらいいか分かりやすくなるでしょ?」と記録する理由を説明したところ、「おお〜なるほど」と納得してくれました。
*進捗状況を文字や数字で記録するって日本人にとっては割と当たり前の文化ですが、
ザンビア人の言語は「聞く・話す」が中心なので(現地語も音が起源で表記のアルファベットは当て字)、「書く・読む」文化に馴染みがないような印象です。
そしてその後、現時点までの課題の洗い出しと改善策の議論。
すると協力者の村人
「長靴など雨具がないから集落に取り締まりに行くのが大変」
「遠い村に行くための車がない」
「IDカードがないから取り締まりをしているときに村人に不審がられる」
など、「モノない発言」を連発。
内心、(ああ…だからモノくれって言われるパターンかな…)と警戒しつつも、
「なるほど、そしたら問題点は
・雨が降ると歩いて取り締まりがしづらい
・遠い村に行くのが大変
・村人の理解がなく、不審がられてしまう
だね」
と冷静に整理。
「じゃあ解決策はどんなものがあるかな、モノがなくても今ある環境で解決できる方法はないかな?」
と提案しました。
リーダー達は私の意図を理解してくれ、
「村人に理解がないなら、村人向けの説明会を開催したらどうかな」
など有益な意見を出してくれました。
ところがどっこい。
例の村人は
「雨具はMwenyaの組織(JICA)が買うべきだ」
「車を手配してくれ」
「IDカードを買ってくれ」
など相変わらずクレクレ攻撃を連発。
そこで、呆れて感情的になりそうな気持ちをぐっとこらえて、
これは改めて皆に私のやろうとしていることの意味を理解してもらう良い機会だと腹をくくり、言いました。
「私はこの村の人に、ずっと使える力を身に着けてほしい。
もし私がモノを提供して一方的に活動したら、1年後私が日本に帰ったあとはここに何も残らない。
今までこの村に来た他のプロジェクトはそうだった。2年や3年のプロジェクトが終わった後、活動を続けた住民はどれだけいた?
私はそうではなく、あなた達が自分達の村をずっと良くしていけるように、必要な考え方やスキルを提供したいんだ」
この言葉は特にリーダー達に響いたようで、感銘を受けてくれていました。
また、私が給料をもらっておらずボランティアとして活動していることを踏まえて、
「Mwenyaこそ真の"ボランティア"だね」と、コミュニティ"ボランティア"でもある彼らは感心してくれました。
改めて私のやろうとしていることの意味を理解してもらえたこと、
そしてリーダー達が、すでにこの姿勢について理解していた様子であったことに安堵しました。
一番右が例の村人。結局彼のクレクレ精神は最後まで直りませんでした(笑)
②リーダー達が村人向け説明会を自主開催!
第3回ミーティングでリーダーから出た「家畜放牧取り締まりについて村人の理解を得るために説明会をしたい」という意見を踏まえ、
リーダー達が自主的に村人向け活動説明会を開催してくれました。
私に対してリーダーが、
"説明会を開催してほしい"ではなく
「Mwenyaがいることでプロジェクトに対する村人の信用が高まるから、当日来てほしい」
という誘い方をしてくれたことをとても嬉しく思いました。
あぁ、ちゃんと自分達主体でやる意識をもってくれてるなぁと。
そして当日は、村人の他にコミュニティリーダー(町内会のリーダーのような人)が集まってくれました。
雨が降ったため近隣の校舎を借りて開催
リーダー達が司会進行から出席名簿の回収、説明や質問タイムまで、何も言わなくても自分達で全て主体的に運営してくれたことに感銘を受けました。
着実に彼ら本来の力を発揮しつつあると実感します。
このまま彼らの自立心とプロジェクト推進力を育てていければいいなぁと、手応えを感じた説明会でした。
引き続きMake Your Project、彼らと共に頑張ります!
つぶやき
ザンビアという異国に暮らしていると、日本にいる時よりも自分という存在が浮き彫りになって
どんどん自分のことが分かってくる。
あぁ、私ってこんな時にイライラするんだなぁとか
こういう所で潔癖が出るんだなぁとか
こういう生活のリズムが心地良いんだなぁとか
こんな時間感覚が自分にとって自然なんだなぁとか
こういうことをすると気分が晴れるんだなぁとか
定期的にこういう時間が必要なんだなぁとか
こういう人と波長が合うなぁとか
こういう人達といると落ち着くなぁとか。
自分がどんなものが好きで、どんなものが嫌いか
どんなことが心地良くて、どんなことに不快感を感じるか
どんな人と会った時に、どんな反応を心が示すのか
どんなことが大事で、何だったら譲れるのか。
異国ということに相まって、時間がたっぷりあるから
自分と好きなだけ向き合える。
自分をじっくり見つめられる。
きっと、せわしない日本の日常なら気付けなかった自分の感覚。
でも本当は、たとえ日本にいる時でも
自分の好き、嫌い
心地良い、心地良くないは
「大人だから」「場の空気を乱したくないから」という理由で心の奥に引っ込めたり、心が感じないように麻痺させたりせずに
しっかり自分の感情として自分が受け止めてあげる必要があるんだと思う。
殺し続けた感情や感覚は
いつか身体の奥に奥に押し込められて本当に見えなくなって
やがて「自分」というものが分からなくなる日がくる
だから、自分の中に出てきた感情は、
例え前向きなものでなかったとしても
誰よりも自分が、自分の感情を認めてあげる。
自分はこう感じてるんだねって、分かってあげる。
そしてしっかりと感情を認めてあげた上で、
その状況が良くなるように何か行動しても良いし、
あえて空気を読んで何も言わない選択をするでも良いし、
そこから逃げたって良い。
でも、自分の感情を、一番認めてあげなきゃいけないはずの自分自身で押し殺すことは
絶対にしちゃいけないんだと思う。
自分の意思や、自分の感情が分からなくなっている人
きっと日本には多いと思う。
多少なりとも日本社会に触れてきた経験から、あの社会にいればそうなるのも無理もないと分かる。
だからこそ、日本に帰ったら
自分を見失いそうになっている人
本当は自分を諦めたくない人を
暗い海から引っ張り出してあげるような
そんな仕事がしたいなぁと思う。
やっぱ、やってみたもん勝ち
Mwabombeni? (働いている人への"How are you?" ≒ 仕事どう?)
こんにちは、Mwenyaです!
2020年、新しい年が明けましたね✨
今日は、前回少し触れた新プロジェクト
Make Your Project
第2回ミーティングがありました!
このプロジェクトは、その名の通り
「ゼロから最後まで、住民自身がつくる」
プロジェクトです。
初回ミーティングの集合写真
なぜこのプロジェクトを始めたのか?というと。
以前から書いてきたように、
援助漬けにより受け身になってしまっているコミュニティボランティアに疑問を感じ、
・一人一人の本来持つ力を引き出したい!
・自分達で問題を解決していく方法を身に付けてほしい!
・一過性ではなく、彼らがずっと続けていける(続けていきたい)ものを実現したい!
と思っていました。
そこで以前は、全地域から集まるコミュニティボランティアのミーティングの中で、
KJ法やPCMなどのプロジェクトの思考法を紹介し、皆と保健課題について話し合うという活動をやっていました。
しかし、このミーティングでは参加者が30人前後ということもあり、
1つ1つの意見を掘り下げにくい上、
各メンバーからの反応が見えにくい。
私の目指す「コミュニティボランティアのエンパワメント」には繋がっていない状況でした。
そこで今回このプロジェクトでは、
1つのモデル地域を設定。
思いきって5人のコミュニティボランティアに絞って人材育成を行うことにしました。
さらに今回は、
主役は5人のコミュニティボランティア。
彼らがリーダーであり、私はあくまでサポーター。
アドバイスを求められない限り、モノはもちろん口も出さない。
というスタンスを頑なに守ることにしました。
もはや、私はなんのためにいるんだって疑われそうな気もしたけど(笑)
いいんです。もう彼らのやりたいことしか、やらない。
やってみたいけど一歩踏み出すきっかけがない…ということが、
私という陰のサポーターによってほんのちょっと背中を押されて、
気付いたらなんか自分でできちゃってる。
「あれ、自分、結構すごいじゃん!」
って驚くみたいな、
そんな姿を実現したいなぁと思っていました。
そして12月、第1回目のミーティング。
モデル地域の住民と「地域で一番解決したい保健課題」を話し合い、プロジェクトのテーマ"Stop Straying Animals"が決定。
(好き勝手に放牧された家畜が原因でコレラなどの病気が蔓延するため、これを防ごう!というもの。もちろん住民発案)
さらにリーダー5人が立候補によって決まりました。
前回はここまでで終了し、
皆で日程を話し合い
2週間後である今日に第2回目のミーティングを設定して終了しました。
このときはまだ、どうなるかなぁ、うまくいくかなぁとドキドキしながらのミーティングでした。
そして迎えた第2回目の今日。
早速、嬉しい手応えがありました!
なんと先週、早速リーダーと村人達が
(恐らく既存の水衛生モニタリングのついでではあるけれど)村の家畜の様子を見て周り、放牧している村人に注意するところまでやっていたのです!
そして、注意したけどすぐに村人の行動が元に戻ってしまった、だから注意するだけじゃ駄目だという反省まで。
まだアクションプランも立てていなかったのにここまで自発的にやってくれているなんて…!
とても良い兆し。
彼らの中にあった「やってみたい」の芽を引き出せたのかなぁと嬉しくなりました。
そして今日は、ファシリテーター、書記もほとんどリーダー達に任せ、
私は時々つっこみ質問を投げかける軌道修正役に。
(私はサポーターですよ感を演出)
すると思っていたよりもずっとうまくやってくれ、
プロジェクトの最終目標、
具体的なアクション、
いつまでに誰がやるかを決定することができました。
ファシリテーターの彼が、とても活躍してくれました!
途中、「目標をいつまでに達成できそうか」と皆に投げかけた時に
リーダーの1人から私にアドバイスを求められましたが、
依存心からではなく「Mwenyaの意見を聞かせてほしい」というスタンスで聞いてくれたのでとても嬉しかった!
(質問については、家畜を持つ村人の人数から逆算したスケジュールの立て方をアドバイスしました。)
反省点としては、
・リーダー5人とだけのリーダーミーティングをやるつもりがうまく伝わっておらず、村人含め12人との村ミーティングになってしまった(笑)
いや、良い写真なんだけどね??(ちなみにあと3人いる)
・前回ついてきてくれたカウンターパートが休暇中で今回参加ならず。今後カウンターパートをきちんと巻き込めるか不安
・誰かから1つの意見が出ると、その意見に対する反対やその他の意見が出にくい。意見を出す人が決まっていて、ただ賛成するだけの村人がいた。様子を見ながら、場合によっては付箋を使った「全員意見まとめ型」の話し合い手法も活用したい
・議論が脱線しがち。「目標」を話し合っている時に「具体的なアクション」について意見したりとか、皆好き勝手に発言する傾向がある。まだまだまとめ役のファシリテーターへのサポートは必要そう
…等がありました。
恐らくザンビアの皆は思いついたことを発言する能力はあるのだけれど、
1つの意見を深めたり発展させたり、
誰かの意見と合わせてまとめたりする経験が少ないのかなぁという印象を受けました。
まだまだ、練習の余地ありです👓
でもとりあえず、手応えが感じられて嬉しい!
手探りでもやってみて本当に良かった!!
何事も行動してみたもん勝ちですね。
これからも月一回ペースでこのプロジェクトを進めていく予定です。
頑張るぞー!!
帰り道通り雨でびしょ濡れになりながらバイクを走らせた青春真っ只中みたいなMwenyaより(笑)
最近の出来事を備忘録的に
Facebook過去投稿より〜11th month〜
1.
new program "Make Your Project" ようやく始動🏃♀❗
リーダー5人が決まりました。
活動進んできたらまた詳細書きます!
2.
栄養ワークショップ、初めての村で🌽
本来このプロジェクトのリーダーであるコミュニティボランティアさん、ずっと体調不良が続いていてこの村での開催が延期に延期を重ねていたので、致し方なく私だけでやりました…😢
早く回復しますように!
3.
水衛生グループの表彰制度も続けています!
カメラの紐が入っちゃうところがザンビアクオリティ😂
4.
お世話になってるベンバ語の先生夫婦と!
現在は奥さんが出産のため夫婦で里帰り中です。
元気な赤ちゃんと会えますように🤗☀
人生の主人公、自分。
家の前の木に住んでるネコ
Imfla!(雨が降ってる!)
ザンビアでは久しぶりの雨が降り気温も涼しくなり、もうすぐ恵みの雨季が来そうです。
毎日15時間続いている停電もようやく終わるかと安堵しているところです…!(ザンビアでは9割以上が水力発電のため、雨が降らないと電気がない)
さて、先月日本に帰って、そして改めてザンビアに戻って感じていること。
それは、いきいきと「自分の」人生を生きることの大切さです。
ザンビア人の生き方
何度か書いているように、ザンビアに来て、ザンビア人は「かわいそうな人」なんかじゃなく、「至って普通の人」なんだと分かった。
そしてなぜか、私が今まで多く見てきた日本人よりも、ずっと幸せそうだと感じていた。
今回日本に一時帰国をして、改めて感じた。
日本人と比べてザンビア人は、自分の感情、自分の意思にとても正直だ。
めんどくさい仕事はしない。変だと思ったらどんどん主張する。やりたいと思ったら2つでも3つでも色んな事業に手を出す。得になりそうなことがあったら目ざとく飛び付いて参加する。仕事中だろうがなんだろうが疲れたら疲れたと言い、堂々と休む。
そう、人生の主人公、自分。
「自分の」人生を、主体的に、いきいきと生きているのだ。
日本にも希望がある
一方で今回日本においても、
「自分の」人生を楽しんでいる人々と出会うことができた。
自分を信じてくれる会社の中で伸び伸びと忙しく働く人。
会社を辞めて自分なりの事業を始めた人。
人とのご縁を大切にしながら柔軟に形を変えてビジネスを興している人。
日本の将来のために身銭を切って次世代の若者へ発信している人。
自分の"will"に向かって主体的に頑張っている人は、みんな仕事を語るときに生き生きとしていて、目がキラキラ輝いていた。
ザンビアに来る前は、日本で暗い顔をして愚痴をこぼしながら働く人々の多さに切ない気持ちになっていたけれど、
こうした前向きな日本人と出逢えてものすごく希望をもった。
「自分の」人生を生きる
そして思った。
きっと幸せになるのに、国や環境なんて関係ない。
自分なりの生き方を、自分で選んで、生き生きと楽しむこと。
これこそが、世界中どこにいても、人が幸せな人生を送るために必要なことなんだと。
こんなことに気付いてからは、私自身、
学生の頃からずっと固執してきた「国際協力」の枠組みの中で考えることをやめた。
日本も、外国も関係なく、
自分のやりたいことはどこにあるのか?私が幸せにしたいのはどんな人か?
と、フラットに将来を考えるようになった。
ザンビア人にも、日本で出逢った素敵な人々にも負けないくらい、
私も「自分の」人生を楽しみたい。
「役に立つ」ということ
我が家の前の日常
Mulishani mowane?(ランバ語で"How are you?")
こんにちは!
またまたご無沙汰しています、mwenyaです。
身内の不幸があり、9月末〜10月半ばまで日本に一時帰国をしていました。
感じたことも得たことも盛りだくさんで、喪中とはいえとっても有意義な一時帰国になりました。またこれについても書きます。
ある違和感
ところで、ザンビアに戻ってきてすぐ、
ザンビア大学に留学中(すごい!)という日本人大学生と話す機会がありました。
その子は首都ルサカに住んでいて、都会にあるキャンパスの研究室で毎日研究に没頭中。
私は昔ながらの生活が残る超田舎に住んでいるよ、と話したところ、こう言われました。
「いいなあ、そっちの方が役に立てそう」
………ん、
「役に立て」そう?
この時、なぜかこの言葉に強い違和感を覚えたんです。
そりゃあ私も元々、少なからず人の役に立ちたいという気持ちがあって国際協力を目指したはず。
なのになぜ、「役に立つ」というワードがひっかかったのか。
この時は違和感の理由が分かりませんでしたが、今日ふと気付きました。
…そうだ。
きっとこれは、「役に立つ」っていう、一方通行の行為じゃない。
必ず相手と双方向の行為だからだ。
孤独との闘い
急遽日本に一時帰国することになった直前の時期、実は一人で悶々としていました。
普段村を中心に活動していてヘルスセンター内で仕事をすることが少ないために、スタッフから仕事をしてないのではと疑われている気がする。
会議など公務のためにしょっちゅう首都ルサカに上がっていることを、なかなか村の外に出られない同僚たちから妬まれている気がする。
コミュニティボランティアさんの意識を変えてもらおうとワークショップを開催しても、いまいち響いている実感がない。
協力者として仲良くやっていたつもりのザンビアのNGOスタッフから、ぞんざいに扱われている気がする。
…等々、色々勝手に考えて孤独を感じていたのですが、
要は
「自分が人々から受け入れられてないのではないか、良く思われてないのではないか」
という不安にかられていたのでした。
でも今回、3週間ほど任地を離れて戻ってきたところ。
私の不安だった気持ちを打ち消すかのように、同僚やコミュニティボランティアさんがとっても嬉しい反応をしてくれました。
カウンターパート(仕事の相棒)"I missed you veeery much!!"
隣の家の同僚「Mwenya〜!! ハグして〜♡!!」
コミュニティボランティア「(わざわざ電話をくれて)ザンビアにいつ帰ってくるの?もう帰ってきてる?!嬉しい♡!」
ザンビアNGOスタッフ「良い帰国になったみたいだね、本当によかった!」
そして戻ってきた直後にヘルスセンターのスタッフだけで企画されたちょっとした避暑旅行で、何人もの同僚が「一緒にやろう!」「楽しんでる?」と、私を沢山気遣ってくれました。
結局、私が一人悩んでいたのはただの取り越し苦労で、皆私を仲間として大切に想ってくれていたことを実感したのでした。
「役に立つ」ということ
そして改めて思うこと。
「人の役に立つ」って、相手との信頼関係がなければきっと成り立たない。
例えば仮に私がこの村に降り立った初日だとして、
ヘルスセンタースタッフやコミュニティボランティアに「こうした方がいいよ」「これをやってみようよ」と提案したとする。
彼らはうんうんと頷いて表面は提案通りに動いているように見せたとしても、
心のうちでは「よく理解できないけど、言うとおりにしていればタダ飯がもらえるかもしれないから従っておこう」と思っていて、
私が去った途端にその行動を止めるだろうと思います。
でも例えば提案した人が昔から仲良くしている仲間で、
自分のやりたいことや気持ちを色々分かった上で、自分のためになると思って提案してくれていると分かっていたなら、
多少は真面目に聞いてみようかな、という気持ちが生まれると思うのです。
そして「信頼関係を築く」って、きっと自分が一方的に相手に何かをしようと思って行動しても成し得ないこと。
相手を頼り、相手に助けられ、そして自分も相手が困ったときに手を差し伸べる。
その「頼り、頼られる」の積み重ねがあってこそ、信頼関係が築き上げられるのではないか。
そんなことを、任地セントアントニーに来て半年経ってからようやく気付き始めました。
きっと、「役に立つ」のではなく、「支え合う」という感覚。
だからこそ、これからはどんな状況でも
「一人で行動する」「一人で抱え込む」ことはやめて、
私を想ってくれているこの村の仲間達に存分に甘えていこうと思います。
この村にいられるのはあと約1年3ヶ月。
将来のこととか色々考えてしまうことはあるけれど、まずは目の前のことに集中して、
時々ゆるくお茶でも飲みながら頑張ろうと思います!