「関わってみる」ということ
セント・アントニーの元気な子どもたち
Chunglopo mukuwai!(夜の"How are you?" ≒こんばんは)
ザンビアは夜です(*^^*)
日本は元号が令和に変わりましたね!
前回の記事を読んで下さった皆さん、ありがとうございました✨
自分の考えたことを発信するというのは勇気がいるもので、沢山の反応を頂けてとても嬉しかったです!
今回は、前回の記事で分かりづらい部分があったかなーと思ったので、少し補完するつもりで書きます。
街に行く
先週、ビザ更新のためにルアンシャという街に行った。
ルアンシャは、私にとって「中都会」。
私の住んでいるセント・アントニー(露店が数件)を「田舎」とするなら、
ンポングウェ郡の中心地(大きめの露店街あり)は「小都会」、
ルアンシャ(外資スーパーあり)は「中都会」、
ンドラ(ザンビア第2・第3を争う都市)は「大都会」だと勝手に思っている。
位置関係はこんな感じ(現在地がセント・アントニー)
ンポングウェの中心までタクシーで1時間半、120〜300クワチャ(約1200-3000円)
→そこからルアンシャまでミニバスで1時間半、20クワチャ(約200円)かけて行くので、
まあ街に行くのは大イベントなわけです。
ルアンシャの街には大きな南ア系スーパーが3つ、ファーストフード店や高級住宅街、車もバスも沢山。
日本の中古バスも多い。スクールバスに真面目な顔したおじさんが乗ってるとなんかほっこりする。笑
そんなに都会だと田舎と比べて何が変わるかっていうと、物乞いの数が多いんだよね。
都会な分ある程度お金持ちな人も集まるから、スーパーや大きめのお店の周りにはいつも何人か子ども達が待機してて、お店に行く人にお金や食べ物をねだってる。
で、下手に国際協力とか学んでる者にとって「物乞い」って付き合い方が難しい。
「ただお金や物を与えたら依存心が育つ、彼らの能力を育てよう」「子どもを使って物乞いビジネスをする中所得層がいる」
等々…まあいろんな「あげちゃいけない論」があるわけです。
かくいう私も昔から「途上国(と呼ばれる国)」に海外旅行をしていたのと、ザンビアの首都に来たときから数え切れないくらい物乞いに会ってきたので、正直なところ「物乞い慣れ」してた。
要は、あまりに数が多いのでいちいち相手にできないから、「あげちゃいけない論」を言い訳に目を背けてたんだよね。恥ずかしながら。
思いつき
今回ルアンシャに行ったとき、ビザ更新をするためのイミグレーションという機関が14時までお昼休みだったので、
時間つぶしも兼ねてそのへんの軽食やさんに入った。
10クワチャ(約100円)のミートパイを買ったら(ありがたいんだけど)めちゃくちゃでかくて、3分の2食べ終わったところでお腹いっぱいに。
今回と関係ないけど、ザンビアで大人気のファストフード・シャワマ。やっぱりでかい。
「どうしようかな〜残すのもったいないしな、、」と思ってたとき、
ふと物乞いの子どものことが頭によぎった。
「あ、そういえば大学の頃インドに行ったとき、物乞いの親子に余ったペットボトルの水をあげたら喜んでくれたなぁ。食べかけでも喜んでもらえるかもしれない」
そう思いついて、残りのパイを捨てずにバッグにしまってイミグレーションに向かった。
(買ったばかりのものではなく余り物をあげようとするのは、「あげること」を特別なことにしたくないという自分への言い訳かもしれない)
食べかけのパイ
無事にビザ更新が終わってロッジ(宿)に向かう途中、まだ入ったことのない綺麗めのパン屋があった。
入口から入ろうとしたら、手前で"Madam"とか細い声が聞こえた。
裸足で歩く物乞いの子どもだった。
私はぎくりとして、とっさにいつもの癖で"Sorry"と言ってお店に入ってしまった。
で、パンを持ってレジに並んでたら「あ、そういえばパイ持ってたじゃん!」と思い出した。
すると会計のところで、店内でさっきとは違う物乞いの子どもに肩をたたかれた。
「パン買って」と言いたそうな目で見つめられたので、「おいでおいで」をして他のお客さんの邪魔にならないところに連れて行った。
「食べかけだけど、いい?」と聞いてパイの袋を渡すと、頷いて両手で受け取ってくれた。
よかった、渡せた…
とホッとして店を出たのも束の間、さっき店に入るときに声をかけられた物乞いの子どもが同じ場所に立っていた。
何も言わなかったけど、こっちを見つめてくる。
はっと心を冷たいものがよぎった。
さっき店内で他の子どもにパイをあげたのを見られてしまっただろうか。
他の子にはあげたのに。ほんとごめんね…
最初よりさらに後ろめたく思いながら、そこを後にした。
忘れられない
パン屋を去ってからも、あの子に抱いた申し訳ない気持ちが消えなかった。
あの目を思い出す度、胸の奥がチクッと痛んだ。
そしてその夜、ロッジのレストランで注文したチキンとライスが例のごとくボリューミーだった。
食べきれないなと感じたとき、ふと思いついた。
「そうだ!これをパッキングして、明日あの子にあげよう」
そして次の日、パック詰めをしたご飯を持って街に出掛けた。
用事を済ませて、夕方、昨日と同じパン屋に行ってみた。
でも、どうだろう。
今度はパン屋の前に誰もいない。中にもいない。
時間が遅すぎたかな…それとも、たまにしかこない「ビジネス物乞い」だったのかな…
むしろあの子が「ビジネス物乞い」で、ほんとは食べ物に困っていないといいな…
などと色々考えながら帰路について、
結局パック詰めのご飯は道沿いでキャッサバを売っていた別の子どもにあげた。
「関わり方」を変えること
第三者がこの話を聞いたら、
「なんだ、結局貧しい子どもに食べ物をあげられたんじゃん。あげた数的には同じ」
と思うかもしれない。
でも、私の胸の痛みは、他の子にご飯を渡せても消えなかった。
私にとっては「そのへんにいる子どもの誰か」ではなく、「あの子」でなければならなかった。
この気持ちは、紛れもなく最初に「あの子」と関わったことから生まれた。
あのとき、パン屋でいつものように素通りして、誰にも何もあげなかったのなら、私は「あの子」のことを忘れていただろう。
「あの子はいま何をしているだろう、ちゃんとご飯は食べれているかな、両親はいるのかな…」と思いを馳せることもなかっただろう。
前回の記事で書いた通り、
確かに「途上国(と呼ばれる国)」の現状は、日本人のイメージよりもはるかに明るい。
私はアフリカのリアルな姿、良いところを沢山伝えていきたい。
でも、
だから協力は必要ないとか、
悲惨な姿ばかりを伝える支援団体や援助機関は悪者だとか、
そんなことを言いたい訳じゃない。
私が伝えたいのは、
皆のアフリカへの「関わり方」を変えたいということ。
多分私なら、もしも社会人として普通に日本に暮らしていたら、
「あぁまた広告だ。世界には変えなきゃいけない問題が沢山ある。寄付を呼びかける団体も沢山ある。
でも、問題が多すぎてどれに手を付ければいいのか分からない。どの団体がちゃんとしているのかも分からない。そもそも自分一人が寄付したところで雀の涙程度かもしれない。
…あぁ、難しすぎ。やっぱり考えるのやめてスマホ見よ。」
となっていたかもしれない。
でも、もし学校や職場、旅先や出張先で、アフリカ出身の友達と出会っていたなら。
ザンビア人と一人でも友達になっていたなら。
ニュースや広告でザンビアを見たとき、
日本の街中で肌の黒い人が困っているのを見たとき、
きっと気付けば目で追いかけるようになって、「大丈夫かな」と気にかけるようになるはずだ、
と思うんだ。
「国際協力」とか「世界平和」とか、
そんな大それたキャッチコピーをわざわざ掲げなくても、
皆が自然に他の国の人のことを想いやって、
「大切な友達だから助け合いたい」と気遣い合えるような、
そんなゆるやかな関係を、私はつくっていきたい。