のんびりまったりザンビア日記

青年海外協力隊 / ザンビア / アフリカ / コミュニティ開発 / 保健医療 / 村でのくらし。

「かわいそう」な人なんていない

人によって意見が分かれる内容かとは思いますが、あえて素直に感じるままを書きます。

 

思うこと。


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もうさ、アフリカの人のこと

「かわいそうな人達」って宣伝するのやめようよ。


「恵まれない子ども達に寄付を。」
よく子どもの悲壮感漂う写真と共に広告貼られるけど、

もうそういう偏った情報発信、今の時代にスマートじゃないと思うんだ。


もっとアフリカのリアルな姿を皆に知ってほしい。

 

 

だって実際来てみたら、アフリカの人、ザンビアの人ってびっくりするくらい明るい。

 

大人も子どもも、どんなに田舎の村でも、みんなおおらかで前向きで、いつも目が生き生きしてる。

 

すれ違うときこっちをじっと見つめてくることがあっても、現地語で挨拶をすると「ニカッ」と満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに応えてくれる。

 

それから、人懐っこい。

 

数日村を離れただけで"I missed you"と同僚や近所の友達が声をかけてくれる。

 

出張中にカウンターパート(仕事の相棒)に電話をかけ忘れると、
"You didn't miss me!"とちょっと拗ねてしまうことだってある。

 

初めて会う人だってそう。

 

カメラで写真を撮っていれば「綺麗に撮ってあげるよ!」と代わりに撮ってくれるし、
初めての場所なら「案内してあげるよ!」と自分の家と反対方向でも一緒に歩いてくれるし、
通りかかった家を訪問すれば「座って!」と自分は地面の上でも私にはイスを出してくれて、ご飯や飲み物でもてなしてくれる。

 

人と人との距離が近くて、とってもあったかい。

 

日本では、ここまで他人に関心を持ったことがあったかな。

 


そして、ザンビア人の「働く」ことへの在り方ってすごい。

 

職場でも時間通りに人が出勤してきたことはほとんどないし、予定されていた出張や会議はしょっちゅう変更か中止になるけれど、
そんなことはまるで気にしない。

 

仕事が中途半端でも疲れていれば定時より早く帰るし、逆に元気があれば他の人の仕事も手伝う。
休みを取りたい人は「楽しんで」と快く送り出す。

 

自分のペースで自由に生きる。
でも、他人にも決められたリズムを強要しない。

 


私は日本で転職者向けのキャリアアドバイザーをしていた関係で、
今まで何百通りもの働き方を見てきた。

 

みんな責任感があって、やるべきことをきちんとやる。

でも、大抵の人は多忙と心労でひどく疲弊していた。

 

だから、ザンビア人の無理しない生き方って、むしろ今の日本人が知ったらすっごく魅力的だと思うんだ。

 


ここに来て思った以上にザンビア人が「普通」であることに驚いた。

 

語学が堪能で何言語も話せるし、記憶力が良くて一度会った人のことを忘れないし、配属先の看護師は一人で医師の代わりとなれるくらい知識も技術も成熟している。

 

もちろん得意分野や性格の違いはあるけれど、
人としてちっとも「遅れている」「劣っている」だなんて感じない。

 


だから今思うのは、
なぜ日本ではこんなにもザンビア、アフリカの情報が偏っているのかっていうこと。

 

日本で報道されるのは、紛争、貧困、未開発などアフリカの暗い面ばかり。

 

実際は、
人も景色も生き方も、ここには素敵なところが山ほどある。

 

もっと皆に本当の姿を知ってもらいたい。
アフリカの人々を身近に思ってもらいたい。

 

「見ず知らずの人」がかわいそうだから助けてあげたい、って上から目線じゃなくてさ。

 

「大切な友達」が困っているから助け合いたい、ってザンビア人と日本人が自然に想い合えるような、
そんなフラットな関係を作っていきたい。

 

どうすれば実現できるかな。


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※5/1追記:

誤解を生みそうなので補足…

タイトルの「『かわいそう』な人なんていない」は、「困っている人なんていない」という意味ではありません。

「かわいそう」と思ううちは、おそらく相手を離れたところから眺めている。

でも、相手が「大切な友達」なら、もっと近い距離で「大丈夫?」と手を差し伸べているはず。

つまり、「『かわいそう』と『捉えるべき』人なんていない」、もっと身近に感じてほしいという意味を込めています。