のんびりまったりザンビア日記

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「国際協力」の神話に向き合う


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こんばんは、ザンビアはすっかり秋です。

昼間は相変わらず汗ばむ陽気ですが、朝晩はパーカーを2枚重ねて毛布を被っても布団から出たくないほどの寒さです。

そして、二本松訓練所であれほど悩まされていたカメムシが、とうとうザンビアの自宅にも発生してきました。

…訓練所で部屋がご近所だった皆さん、その説はカメムシカメムシとお騒がせしました。

mwenyaは今、殺虫スプレーほうきちりとりで秒で退治できる立派なカメムシマスターになりました。(笑)

 

ところで、思うところがあったので今の気持ちをつらつらと書き残しておきます。

 

「国際協力」という神話

私が保健医療を専門に選んだことは、ある意味「逃げ」だったのだと思う。

 

私は元々、中学生の頃に読んだ地球温暖化についての本をきっかけに、国際問題に興味を持った。

 

数学が苦手な私は科学者にはなりたくない、ならば地球温暖化を解決するには国連職員だろうと子どもなりに考えて、受験勉強に励み、進学した高校でも一生懸命勉強した。

 

そして大学について考える際、国際関係学というものがあることを知った。

 

その時ぱっと脳裏に、いつかテレビで見た紛争地帯の「貧しい」子ども達の映像が浮かんだ。

これだ、と、取り憑かれたように国際関係学を専攻できる大学だけを選んで受験した。

 

今思えば、そこには潜在的な「国際協力=清く正しくカッコイイこと」というある種のミーハー心も相まっていた。

 

しかし、「国際協力=清く正しくカッコイイこと」という自分の中の神話は、晴れて入学した大学で徐々に打ち砕かれていくことになる。

 

大学での迷い

 

国際政治学の講義。

「国際開発(しばしば国際協力と同義で使われる)は、アメリカが植民地支配の一環で始めたものだ」

 

NPO・NGO論の講義。

「国際協力ブームの時、日本のNGOが東南アジア諸国で井戸をつくりまくった。が、つくった井戸は全く手入れされず、朽ち果てている」

 

ある地域研究の教授。

「どの国も独自の文化がある。経済開発の一途を辿らなければならないかのような言説は、先進国の押し付けなのではないのだろうか」

 

様々な事実と既存の理論を知っていくうちに、「国際協力」が果たして本当に良いものなのだろうか、自信がなくなってしまった。

 

代わりに、「人の幸せとはなんなのだろうか」という問いを突き詰めたくなった。

 

今思えば、この問いは「文化人類学」の枠組みの中で立派に研究対象となり得るものだし、この問いこそが「国際協力」の真髄を追究するための入り口となるはずだった。

 

しかし、当時の私は自分の頭の中にあった考えをうまく表現できなかった。

 

 

考えることへの「逃げ」

そして3年生になる時、ゼミを選択するときが来た。

 

相変わらず自分の考えをうまく表現できずふわふわしたことしか言えなかった私は、相談した教授に「どれか専門を定めなきゃだめよ」と言われた。

 

私は焦りに焦って、東京で開かれる国際協力の最大のお祭りであるグローバルフェスタに行き、出店していたあらゆるNGOや国際機関からビラをもらいまくった。

 

そして自宅の床に全てのビラを並べ、ピンとくるものを探した。

 

その時思いついた。

 

「世界には様々な価値観があるけれど、『命が大事、健康が大事』という価値観だけは、どの国に行っても揺らがないのではないか」

 

そこで、保健医療の分野であれば、「これは正しいことだ」と自信をもって活動ができるのではないかと思い、自分の専門として保健医療を選んだ。

 

 

しかしながら、これはある種の「逃げ」だったのだと思う。

 


保健医療支援それ自体の素晴らしさは確かにあるし、これまでそこに主眼を置いて大学での研究、NGOでのインターンやボランティア、セミナーやワークショップに参加してきたことで得たものは大いにある。そして今でも保健医療に携わりたい気持ちは変わらない。

 

けれど。

 

私は「保健医療、命が大事だという価値観は普遍だろう」という考えに落ち着くことで、「国際協力の価値とは、あるべき姿とはなにか」を深く追究することから一旦目を背けてしまっていたのだ。

 

 

向き合う

 

そして今、あのとき自分が「途上国」として認識していた国際協力の舞台、アフリカにいる。

 

どっぷり援助慣れし、肌の白い人を見ればモノやお金をねだる村人。

ドナーへの報告に追われ日常業務を圧迫されるヘルスセンタースタッフ。

隣のグループよりも謝礼金が少ないと不平をこぼすコミュニティボランティア。

プロジェクトが終わり主催のドナーがいなくなった途端開かれなくなる結核支援住民グループのミーティング。

食べ物がなかろうが現金収入がなかろうが、明るく楽しく今を生きる村人。

 

ずっと目を背け続けてきた「国際協力」の神話の崩壊が、現実のものとして目の前に押し寄せてきた。


そして今でこそ、こんなにも憧れ悩み苦しんできた「国際協力」というものに、正面から向き合える時が来た。

 

まるで自分の信念や存在意義が揺らぐかのような、不安もある。


でも、すごくワクワクしている。

 


この期間でできることは少ないかもしれないけど、私はこの協力隊としての2年を、「2年間のための2年間」にしたくない。


目を背けてきた「国際協力」の問いに人生をかけて向き合っていくための、その足掛かりとなる2年間にしたい。

 

 

まだまだ、始まったばかり。

 


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