のんびりまったりザンビア日記

青年海外協力隊 / ザンビア / アフリカ / コミュニティ開発 / 保健医療 / 村でのくらし。

ねだることとあげること


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Mwashibukeni! (朝の"How are you?"≒おはよう)

 

ただいま首都ルサカに向かうバスの中です。

明日ちょっとしたイベントがあるのでわくわくしています!(追ってブログ書きますね)

 

今回は備忘録的に、あることについてのいくつかのエピソードを書きます。

 

それは、ザンビアに来て一番理解に苦しんでいること…

「おねだり」についての価値観の違いです。

 

エピソード①お金ちょうだい

 

先日書いた、「はじめての栄養教室」の会場である村に向かって歩いていたときの1コマ。

 

途中、何度か来たことのある集落を通った。

集落の男性たちが集まって話していたので、いつものように軽く挨拶だけして通り過ぎようとした。

 

するといきなり1人の男性に

"I'm angry!!(怒ってるぞ!)"

と大声で呼び止められた。

 

えっ何々?なんで怒ってるの??

 

と思って近づいてよくよく聞いてみると、

 

"I'm hungry!!(お腹すいた!)“

だった。

 

要は、貧乏でお腹がすいたから食べ物かお金をくれ、ということらしい。

 

その男性だけでなく、そばにいたおばあちゃんからも言われた(このおばあちゃんに関しては何度かヘルスセンターに来たときもお金をねだられていた)。

 

あぁ、私何度もここを通って現地語で挨拶もしているのに、この人たちは私をただの「お金ありそうな外国人」としか見ていないんだな…と悲しくなった。

 

まあでも、私のことをよく知らないザンビア人に何かねだられるのはいつものこと。

 

ザンビア人が外国人に何かをねだる習慣をつくってしまったのは、きっと今までザンビアを援助漬けにしてきた私達外国人の責任でもあるのだから、ある程度しょうがないのだろう。

 

そう思って、それ以上は深く考えずにその場を去った。

 

エピソード②お礼ちょうだい

村での栄養教室が無事に終わり、村のお母さん達がクッキングデモンストレーションで作ってくれたおかずとシマ(ザンビア人の主食)を頂いた。

 

お母さん達が作ってくれた料理はとても美味しくて、何度かお礼を言った。

すると一人のお母さんがすごくニコニコしてくれて、感謝の気持ちが伝わったのだと嬉しくなった。

 

そして全てのプログラムを終え、もう一度お礼を言いながら立ち去ろうとしたとき、あのお母さんがニコニコしながら呼び止めてきた。

 

何か言っているみたいだけど、現地語でよくわからない。

 

何度か「分からない」のジェスチャーをすると、そのお母さんが相変わらずニコニコしながら、腰に巻いたチテンゲ(スカート代わりの布)の破れている裾を指差した。

 

あっ…そういうことか…

 

おそらく

「チテンゲが破れちゃったけどお金がなくて買えないの。新しいチテンゲを買ってくれない?」

というメッセージらしい。

 

これも朝通りすぎた「お腹すいた」の男性と同じおねだりなのだけれど、

今度は

「お金持ってそうな外国人だから欲しい」

ではなくて

「今日ご飯を作ったお礼に欲しい」

という意味合いに思えて、

不思議とそこまで悲しい気持ちにならなかった。

 

そこから、

私は村人に「○○が欲しい」と言われたこと自体が悲しかったのではなくて、

私が友達として同じ目線になりたいと思っていたのに、向こうから「外国人」として線引きされたことが悲しかったのだな、

と感じた。

 

エピソード③お土産ちょうだい

 

栄養教室開催の後、先輩隊員の活動見学と同期隊員とのヴィクトリアの滝観光のために、ザンビア南部のカズングラ・リビングストンに行った。

(どちらも素晴らしいところだった…追ってブログにも書きたい)

 

そして1週間以上不在にしたのち帰路についていると、途中の街で同僚(家が隣)とたまたま帰るタイミングが合ったので、タクシーに乗り合わせて任地セント・アントニーへ向かった。

 

タクシーの中で南部旅行の話をひとしきりしていると、運転手から言われた。

 

「それで、mwenyaはご近所さんに何を持ってきたの?(What did you bring to your neighbor?)」

 

これはつまり、ご近所さんへのお土産は何か、ということ。

 

これまでも何度か出張帰りに、近所に住む教会のシスターに「私のために何を持ってきてくれたの?」と言われたことはあった。

 

そのときは「え?何故?」という感じだったけれど、

今回のように第三者にも言われるということは、おそらくザンビアにはお土産の習慣があるのだろう(私自身はお土産をもらったことは一度もないけれど…)。

 

そういえば私も大学時代のバイト先や会社員時代の職場に、長期旅行にいく度に当然のようにお土産を買ってきていた。むしろお土産を買うことを楽しみにさえしていた。

 

だからよく考えてみれば、ご近所さんである同僚たちにお土産を配ることは普通のことなのかもしれない。

ただ、お土産を「もらう側」から要求するかしないかの違いだ。

 

そこで、買ったものを渡すのは気が引けるので(金持ちと思われたくない)、自分でお菓子をつくって配ることにした。

 

家にあったありったけの材料でf:id:mwenya369:20190629203914j:image

スコーンと


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バナナのパウンドケーキをつくって


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ラッピングして渡した。

 

すると、

 

In charge(院長)

"Mwenya!! You are nice!!!(満面の笑み)"

 

同僚

"Woow Mwenya〜〜!! Thank you🖤(投げキッス)"

 

と、皆思った以上に驚いてものすごく喜んでくれた。

 

その笑顔があまりに可愛くて、くすぐったいような嬉しい気持ちになった。

 

「あぁ…なんで今まで何もあげてこなかったんだろう。こんなに喜んでくれるなら、もっと早くあげればよかった。」

 

素直にそう思えた。

 

多分、日本で友達にプレゼントをあげたときや、親しい同僚にお土産をあげたときと、同じ気持ちになれた。

 

エピソード④服ちょうだい

 

そして今週。

 

夕飯時、近所に住むCHAと呼ばれる実習生達の家に、シマ作りを習うという名目で遊びに行った。

(CHAについては「はじめての栄養教室」参照)

 

特にCHAの女の子達とは仲良くしてもらっているので、先日も同僚たちと同じパウンドケーキをお土産としてプレゼントしていた。




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シマを作っている様子。固まってくるとけっこう力が要る

 

そしてシマを作りながら楽しい一時を過ごした後、送るよと言ってくれたので皆で私の家に向かって歩いていた。

 

すると女の子の一人から、「ねえねえちょっと」と腕を組まれ、皆の輪をはずれて内緒話をされた。

 

「Mwenyaのはいてるズボンすごく良いよね、私にくれない?」

 

私に対するおねだり作戦だった。

 

しぶっていると、

今度は「髪の毛切ったらウィッグにして私にちょうだい?」と違う角度でおねだりしてきた。

(※ザンビア人女性はストレートヘアが羨ましいらしい。今までも色々な人から同じことを言われた)

 

なんだかとても複雑な気持ちになった。

 

これは友達としての親しさ故のおねだりなのか、

それとも単にモノをくれそうな外国人への要求なのか。

 

人懐っこそうな彼女の表情からはそれが読み取れなかった。

 

おねだりの習慣

 

日本では、赤の他人はもちろん親しい友達にも何かをねだる習慣は少ない。

おねだりするとしても、親やパートナーなど極めて身内に近い人に対してだけだ。

 

何かプレゼントが欲しいとしても、それを人にストレートに要求するのは「恥ずかしいこと」とされ、相手が自主的にくれるのを待つか、せいぜい遠回しに「あれいいな~」とアピールするくらいだ。

 

ところがここはザンビア。

 

笑うも怒るも泣くも喜ぶも、感情表現がオープンで気持ちもはっきり相手に伝える国民性だ。

 

もしかしたらザンビア人同士でも、何か欲しいと自分の欲求を素直に伝えることは自然なことなのかもしれない。

 

そう思うと、ますます女の子のおねだりの意図が分からなくなる。

 

 

ザンビア人を理解したい、普通の友達として仲良くしたい。

だからこそ日々ザンビア人の「普通」が分からずに悩む。

 

まだまだ考えがまとまっていないけれど、

これからもこの「おねだり」とは付き合っていくことになりそう。

ザンビア人の考えと自分の気持ちをじっくり観察していきたい。


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やさしさ

Natotela saana (Thank you very much)

ザンビア人の優しさに触れた話。

 

今日、タクシーとバスを乗り継いで行くルアンシャという街で買い物して、重い買い物袋を提げて道を歩いていました。

 

すると重いものを入れすぎた結果、袋が切れた!

入っていたパン、パスタ、きのこ、ペットボトルの水が土の上でバラバラに!!

 

慌てて集めて再び運ぼうとするも、袋は切れているのでうまく持つことができずあたふた。

 

すると近くの露店からザンビア人女性が近寄ってきました。

 

彼女の手には頑丈なスーパーのビニール袋。

 

「使って」

 

一言だけ言って、何を要求することもなくお店に戻っていきました。

 

スーパーのビニール袋は、1〜2クワチャ(10〜20円)。

彼女が売っていた野菜は、高くても5クワチャ(約50円)。

 

さらに使い古したチテンゲ(伝統布)を腰に巻いた彼女は、決して裕福ではなさそうでした。

 

…あぁ、なんて優しいのだろう。

 

路上でビニール袋を高く売る商人もいる中、ただ道端にいた外国人に貴重な袋を渡してくれるなんて。

 

移動で疲れていた心が、じんわりと温かくなるのを感じました。

 

そしてさっきと同じ重たい荷物を持っているはずなのに、不思議と軽い足取りになって帰路につきました。

 

 

またあるときは、ミニバスで街まで移動したら日が暮れて薄暗くなってしまったことがありました。

 

着いたバス停で運転手に

「どこにいくの?」

と聞かれ、

「スーパーだよ」

と答えると、

なんとなにも言わずにそのままスーパーまで乗せていってくれました。

 

少しの移動で3クワチャ以上かかるのが当たり前の中、たった1クワチャも要求せずに。

 

そしてバスの運転手のお兄さんは、爽やかな笑顔で去っていきました。

 

 

こんなことが日々起こります。

ザンビア人は本当に優しくて、感動することばかりです。

 

あー、親切なザンビア人のおかげで

どんどんザンビアが好きになってしまう。

 

もちろん事件だって起こるし良い人ばかりではないのだろうとは思う。

けれど、

やっぱり私はこんなにも沢山の優しさをくれるザンビアの人々のために、何かお返ししたい。

 

そう改めて思わされるのでした。

 


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はじめての栄養教室


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Mulishani mowane? (ベンバ語よりさらに土着の言語ランバ語で"How are you?")

 

先週、ようやく活動らしい活動ができました。というお話。

 

コミュニティボランティア

もとはといえば、いつも頼りにしているめちゃくちゃやる気のあるコミュニティボランティアが「nutrition club(栄養教室)を開催したい」と企画してくれたことがきっかけでした。

 

改めて説明すると

コミュニティボランティアとは、それぞれの村の中から援助機関や政府により選ばれた、健康を広めるためのサポート要員のような方々です。

あり方のイメージとしては、地域の町内会の役員みたいな?

 

母子保健、水衛生、マラリア対策、HIVエイズ対策など各分野につき担当が選ばれ、援助機関や郡保健局との会議に参加したり、毎月自分の村について所定の調査や指導を行ったりします。

 

ボランティアは基本的には無報酬なので、家族を養うためにはしっかり本業(大抵は農業)も続けながら頼まれたボランティアの仕事を行う必要があります。

しかも中には一人が複数の分野のボランティアを掛け持ちで任されているケースも。

 

だから中には本業や他の分野のボランティアが忙しくて、コミュニティボランティアに選ばれてもなかなか会議やレポート提出に参加できない人も多く…。

そんな中、自分で新しい企画までやりたいと言ってくれる冒頭のボランティアさんはとっても貴重な存在です。

 

 

いつやるの?

だから、初めて栄養教室の話をボランティアさんから聞いたときは、そりゃあ嬉しかった。

 

なんとか彼の企画に彩りを添えて良い栄養教室にしようと、私も自分なりにパワポを作って先輩隊員の家でカラーコピーして、ホワイトボードやら手作りのカードやら用意して準備していました。

 

村でちゃんとした発信をするのは初めてだし、英語(からさらに現地語に通訳してもらうけど)での説明になるし、前日は頭の中でシュミレーションしてドキドキしていました。

 

ところが栄養教室当日。

 

ボランティアさん

「今日村でfuneralがあるから、延期になった」

 

そっか…。funeral(葬式)ならしょうがないか。。

 

ザンビアではすごく近所や親戚でなくとも、同じ村でfuneralがあれば大抵の村人が参列します。

しかもそもそもの家族が10人とかの大家族だし、ましてや「仕事の同僚の奥さんの兄弟の娘さん」っていうレベルでも参加するもんだから、しょっちゅう参列すべきfuneralが発生するわけです。

(もしかすると亡くなる絶対数も多いのかもしれないけど…)

 

そして仕事があろうが重要な会議があろうが、funeralは絶対。よっぽどのことがなければ仕事は休みにしてfuneralを優先します。

 

そんな状況だから、残念だけど栄養教室が中止になるのはやむを得ないと納得。

 

そして、延期後の開催日と聞いていた、次の週の木曜日を迎えました。

 

ところが。

 

「今日は郡保健局のスタッフが視察に来ると聞いたから、栄養教室を来週に延期すると村に連絡した。

でも、郡保健局がfuneralで来れなくなった」

 

その後もさらに延期が数回繰り返され、約束の月曜日。

 

…もはやコミュニティボランティアが来ない。

説明にも来ない。

 

私もさすがに意気消沈して、もうヘルスセンターのオフィスにこもって他の業務をしてました。

 

そして何も連絡がないまま、その週の木曜日。

 

朝の支度をしていると、コンコンと家のドアを叩く音が。

 

ボランティアさん

「久しぶり!いやあ、今週は大豆の収穫があって忙しかったよ。

それで、本当は今日栄養教室を開催すると村人に言ってたんだけど、都合が悪くなったから明日の金曜に開催することにしたよ。」

 

…おいおい、今日に変更になってた時点で一言いいなよ。そして私も予定があるんだから連絡できなくてごめんくらい言いなよ。

 

とは思ったものの、私もザンビアに暮らして5ヶ月目、「ごめん」を言わないのがザンビアカルチャーだということはもう知っています。笑

 

そして満を持して(というか持すぎて笑)ようやく、金曜日に栄養教室が開催されました。

 

 

歩いて村へ

開催地の村は、ヘルスセンターから歩いて片道1時間半。

 

遠すぎて普通はヘルスセンタースタッフも車が出ないと行かない村なので、私が行くと伝えたらさすがのスタッフにも「徒歩で?!正気?!」と驚かれました笑

 

さらにCHAという、環境衛生士(保健師のような職業)の実習生の女の子たちも3人連れて(都会育ちの彼女たちもぶーぶー言いながら歩いてた)、とことこと目的の村まで歩いていきました。

 

そして10:00開始の予定だったところ、ようやく11:30に到着。

 


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…はい、不安になるくらい誰もいない。

 

コミュニティボランティアさんに「誰もいないね〜」と話したところ、「昨日に開催する予定だったけど変更したから、皆ほんとうに自分達が来るか半信半疑だったんだよ」とのこと。

 

…まあ、その前に何回も日程変更してきてるしね。

 

そして待つこと約1時間、ようやく村人が集まってきました。

 

 

ようやく開催

 

そして、待ちに待ちすぎた栄養教室第一回がようやく開催。

 

主旨としては、

 

・村人のタンパク質が不足している

・料理に油を使いすぎて病気の元となっている

・ピーナッツを栽培しているが全て売り払っており自分達で食していない

 

→そこで、食用油の代わりにタンパク質がとれてヘルシーなピーナッツを使うレシピを提案しよう!というものです。

 

(このアイディアを考えたのが村人の一人であるボランティアさん自身というのが一番素晴らしいところ。)

 

そして私はボランティアさんのメッセージをより効果的に伝えるべく、クッキングデモンストレーション(料理の実演)の前に栄養についてのプレゼンテーションをしました。


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まずはボランティアさんと実習生に通訳してもらいながら、パワポを印刷したものを使って、五大栄養素の内容と、それぞれの栄養素が不足したらどんな悪影響が出るか、どの食品から採れるかを解説。

 

(通訳のボランティアさんと実習生しばしば暴走。私が言ってないことも付け加えてくれる。いや、むしろ素晴らしいし、ザンビア人自身が主体となってくれるのはとても良いこと。)

(ただ、質問コーナーのときに通訳の役割を忘れて私をはさまずに直接回答しちゃうのはやめて。笑)


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次に、ホワイトボードと色画用紙、食べ物の写真を印刷したカードを使って、村人にクイズ。

それぞれの食べ物がどの栄養素グループに含まれるか、カードを貼りながら予想してもらいました。

 

「栄養素」の概念から説明を始めるくらいなので案の定村人の正答率はとても低くて、取り組みの必要性が感じられてよかった。

 

そして肝心な「ピーナッツパウダーが油の代わりになる」というメッセージを何回も強調できました。

 

ただ、マグネットを調達できずセロハンテープで貼ってるもんだからちょいちょい風でカードが吹き飛んで気が散った(笑)


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ボランティアさん自身も、私の用意した教材を利用して自主的に解説してくれました。嬉しい!

 

ただ問題は、次に始まるクッキングデモンストレーションの準備のために途中で女性達がぱらぱら抜けていってしまったこと…。

 

権力の強い男性達が聞いてくれたのも嬉しかったけど、普段ご飯を準備する女性達には特に聞いてほしかった。

 

このあたりは打ち合わせと段取りに反省。

 

クッキングデモンストレーション

そして、いよいよメインのクッキングデモンストレーション開始!

 

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まずはピーナッツを殻から出してすりつぶします。


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次にそれをふるいにかけてピーナッツパウダーを抽出。


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かぼちゃの葉っぱやトマトを煮てから、その中にピーナッツパウダーを加えます。


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同時進行できのこの炒めものなど他のおかずも用意。

(でも、せっかく油を使わないことが目的なのにきのこには油を入れていた…)


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さらに別の調理場で主食のシマも用意。(メイズのパウダーを煮てつくります。近くにメイズを粉末にするための機械もあった)


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煮えるまでまったりタイム。

お母さんたち素敵な笑顔!

 

私もちょいちょい料理に参加してるのですが、私の拙いベンバ語でもすごく喜んで会話してくれてとってもフレンドリー。


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そして完成したのがこちら!

 

左が今回のメイン、フィサシ。

普段はかぼちゃの葉っぱとトマトと大量の油を使って作るのですが、油の代わりにピーナッツパウダーを入れたことでヘルシーになった上、風味と甘みも出てとっても美味しかった!

 

右が主食のメイズ。現地流にめっちゃ手でにぎにぎ握って食べるとおもちみたいになって美味しい。

奥がきのこの油炒め(こっちは大量の油入り)。

 

とっても美味しいご飯ができて充実感に満たされました。

 

第一回を終えて

全体の段取りや目的をもっとはっきり伝えた方がよかったな、など色々と反省はあったけど、ボランティアさんにも「君のプレゼンはとっても効果的だったよ」と言ってもらえたし、第一回目としてはわりと良い感じだったのではないかなーと。

 

開催されるまでは日程が定まらなさすぎて前途多難だったけど、やってみてよかった。

 

 

そして大きな達成感と同じくらい大きな疲労感を抱えながら、また1時間半歩いて帰りましたとさ。



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「国際協力」の神話に向き合う


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こんばんは、ザンビアはすっかり秋です。

昼間は相変わらず汗ばむ陽気ですが、朝晩はパーカーを2枚重ねて毛布を被っても布団から出たくないほどの寒さです。

そして、二本松訓練所であれほど悩まされていたカメムシが、とうとうザンビアの自宅にも発生してきました。

…訓練所で部屋がご近所だった皆さん、その説はカメムシカメムシとお騒がせしました。

mwenyaは今、殺虫スプレーほうきちりとりで秒で退治できる立派なカメムシマスターになりました。(笑)

 

ところで、思うところがあったので今の気持ちをつらつらと書き残しておきます。

 

「国際協力」という神話

私が保健医療を専門に選んだことは、ある意味「逃げ」だったのだと思う。

 

私は元々、中学生の頃に読んだ地球温暖化についての本をきっかけに、国際問題に興味を持った。

 

数学が苦手な私は科学者にはなりたくない、ならば地球温暖化を解決するには国連職員だろうと子どもなりに考えて、受験勉強に励み、進学した高校でも一生懸命勉強した。

 

そして大学について考える際、国際関係学というものがあることを知った。

 

その時ぱっと脳裏に、いつかテレビで見た紛争地帯の「貧しい」子ども達の映像が浮かんだ。

これだ、と、取り憑かれたように国際関係学を専攻できる大学だけを選んで受験した。

 

今思えば、そこには潜在的な「国際協力=清く正しくカッコイイこと」というある種のミーハー心も相まっていた。

 

しかし、「国際協力=清く正しくカッコイイこと」という自分の中の神話は、晴れて入学した大学で徐々に打ち砕かれていくことになる。

 

大学での迷い

 

国際政治学の講義。

「国際開発(しばしば国際協力と同義で使われる)は、アメリカが植民地支配の一環で始めたものだ」

 

NPO・NGO論の講義。

「国際協力ブームの時、日本のNGOが東南アジア諸国で井戸をつくりまくった。が、つくった井戸は全く手入れされず、朽ち果てている」

 

ある地域研究の教授。

「どの国も独自の文化がある。経済開発の一途を辿らなければならないかのような言説は、先進国の押し付けなのではないのだろうか」

 

様々な事実と既存の理論を知っていくうちに、「国際協力」が果たして本当に良いものなのだろうか、自信がなくなってしまった。

 

代わりに、「人の幸せとはなんなのだろうか」という問いを突き詰めたくなった。

 

今思えば、この問いは「文化人類学」の枠組みの中で立派に研究対象となり得るものだし、この問いこそが「国際協力」の真髄を追究するための入り口となるはずだった。

 

しかし、当時の私は自分の頭の中にあった考えをうまく表現できなかった。

 

 

考えることへの「逃げ」

そして3年生になる時、ゼミを選択するときが来た。

 

相変わらず自分の考えをうまく表現できずふわふわしたことしか言えなかった私は、相談した教授に「どれか専門を定めなきゃだめよ」と言われた。

 

私は焦りに焦って、東京で開かれる国際協力の最大のお祭りであるグローバルフェスタに行き、出店していたあらゆるNGOや国際機関からビラをもらいまくった。

 

そして自宅の床に全てのビラを並べ、ピンとくるものを探した。

 

その時思いついた。

 

「世界には様々な価値観があるけれど、『命が大事、健康が大事』という価値観だけは、どの国に行っても揺らがないのではないか」

 

そこで、保健医療の分野であれば、「これは正しいことだ」と自信をもって活動ができるのではないかと思い、自分の専門として保健医療を選んだ。

 

 

しかしながら、これはある種の「逃げ」だったのだと思う。

 


保健医療支援それ自体の素晴らしさは確かにあるし、これまでそこに主眼を置いて大学での研究、NGOでのインターンやボランティア、セミナーやワークショップに参加してきたことで得たものは大いにある。そして今でも保健医療に携わりたい気持ちは変わらない。

 

けれど。

 

私は「保健医療、命が大事だという価値観は普遍だろう」という考えに落ち着くことで、「国際協力の価値とは、あるべき姿とはなにか」を深く追究することから一旦目を背けてしまっていたのだ。

 

 

向き合う

 

そして今、あのとき自分が「途上国」として認識していた国際協力の舞台、アフリカにいる。

 

どっぷり援助慣れし、肌の白い人を見ればモノやお金をねだる村人。

ドナーへの報告に追われ日常業務を圧迫されるヘルスセンタースタッフ。

隣のグループよりも謝礼金が少ないと不平をこぼすコミュニティボランティア。

プロジェクトが終わり主催のドナーがいなくなった途端開かれなくなる結核支援住民グループのミーティング。

食べ物がなかろうが現金収入がなかろうが、明るく楽しく今を生きる村人。

 

ずっと目を背け続けてきた「国際協力」の神話の崩壊が、現実のものとして目の前に押し寄せてきた。


そして今でこそ、こんなにも憧れ悩み苦しんできた「国際協力」というものに、正面から向き合える時が来た。

 

まるで自分の信念や存在意義が揺らぐかのような、不安もある。


でも、すごくワクワクしている。

 


この期間でできることは少ないかもしれないけど、私はこの協力隊としての2年を、「2年間のための2年間」にしたくない。


目を背けてきた「国際協力」の問いに人生をかけて向き合っていくための、その足掛かりとなる2年間にしたい。

 

 

まだまだ、始まったばかり。

 


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事件


Mwalila?(よく食べた?=How are you?)

お昼食べましたか?14時のザンビアよりMwenyaです。

 

一昨日はAfrica Freedom dayという祝日でした。

 

第二の都市ンドラで花火があると聞いたので会場のサッカースタジアムに行ったんですがね、

開始1時間後に着いたのにスタジアム内に誰もいないんですよ。

 


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暗いし寒いしで、不安を紛らわすために皆で3文字しりとりしてたんですが。

なんと30分後に別の場所で花火あがりましたよね。笑


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さっきスタジアム内が会場だよって教えてくれたおじちゃん、平然と本当の会場の入口でチケットもぎりしてた。

おい。笑

 

花火もさっき数発上がったっきり全然上がらず。

こんな感じの屋台フードを食べながら待つこと2時間。

 

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BGM: ザンビアンクラブミュージック。親もちっちゃい子どもも皆がんがん踊る。

 

いや、ずっと見てたけど発射担当らしきスタッフがいつまでもしゃべってる。なんならビール飲んでる。なんならタイタニックの有名シーンばりに男女でイチャイチャしてる。笑

 

花火いつ上がるの?soon soonと何度か言われたまま3時間経ってもsoonはいっこうにやって来ず…

しびれをきらしてとうとう帰ってきちゃいました。

 

結局あのあと花火はあがったんでしょうか、、

まあ結果的にいろいろ楽しかったからよし😂

 

 

こんな感じでザンビアでは毎日いろんなことが起きます。

 

 

とはいえザンビアに来て4ヶ月目、そろそろどんなことも想定内になってきて、いよいよ何でも楽しめるザンビアマスターの境地に入ってきたかなと思っていた矢先。

 

事件が起きました。

 

 

郡のcouncilという所から水衛生プロジェクトのモニタリングでお偉いさん達が来た日。

 

いつものように村のトイレ見学に着いていかせてもらって、お偉いさんに通訳を手伝ってもらいながら住民へ水衛生・マラリア・栄養についてのインタビューをしていました。


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当の村ではないけど、イメージこんな感じ

 

 

家々を周って歩いていたとき突然。

 

 

ギャーーー!!♯×÷∂♀^♭”※♮×!!

 

 

甲高い怒鳴り声が。

 

なにやら、村の女性が1人の男性に対して、鬼の形相で叫んで怒っている様子。

取り囲む十人近い近隣住民。

 

「ああ、喧嘩だね」とcouncilスタッフと軽く目をやって、その場を過ぎ去ろうとしたところ…

 

 

バシッ!バシッ!…わぉ〜〜ん。。。

 

 

え!!!

さっきの女性とどっかから来た兄ちゃんが、一緒になって男性を袋叩きにしてる!

いや、殴る、蹴る、思いっきりやりすぎ!!

いやいや、流血してる!!

痛すぎて子どもばりに泣きわめいてるじゃん!!!

 

これはまずい、でも近づくの恐いと思うより早く、councilスタッフと近くの住民が止めに入ってくれました。

 

後からcouncilスタッフに聞いたところ、どうやら夫婦の男女関係のもつれが原因とのこと(恐らく旦那が浮気したのだろう)。

 

ここまではまぁ日本でもよくあることよね、ザンビアでもそういうのあるのね〜ってくらいなんだけど、驚いたのは次の一言。

 

「この辺りは田舎すぎて警察がいないからね。先月もこんな感じの喧嘩で2人亡くなったよ」

 

…えっ?

 

武器もない殴る蹴るの喧嘩で、2人もひと死んじゃうの?!?

しかもこんな平和極まりなさそうな静かな田舎で?!?!

 

いくら感情表現がストレートなザンビア人とはいえ、こればっかりは結構衝撃でした。

 

人の恨みというものは、恐ろしいものですね、、

 

 

とか思っていたら別の日の帰り道、

また事件が!!!

 

 

幹線道路が!通行止め!!

原因、ばかでかい牛と車の衝突!!

 

 

なんだこの温度差。笑

 

 

全てが想定内のザンビアマスターになれる日は、まだまだ遠そうです。


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今日の村

Facebook過去投稿より③

〜4th month〜

 

こちら、今日の村🌴
ヘルスセンターから車で約1時間🚙


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なんと、この村に医療スタッフが訪れたのは去年の11月ぶりだそう!⚡

 

というのも、ご覧の通りここはほぼジャングル。笑

雨季(11月〜4月くらい)は道がぐちゃぐちゃすぎて車でも通れない🚗
結果、ヘルスセンターで毎月周るアウトリーチ対象にも、雨季の間ははずされてしまう、、

 

ん?てことは、村人も徒歩ではヘルスセンターに来れないだろうから、雨季の間に病気or産気づいたらしたらどうしてるんだろうか、、🤔


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一緒に行ったヘルスセンタースタッフ。近くにあったコミュニティスクールにもご挨拶。

 

あまりに行ってなさすぎて、今日もアンダー5(乳幼児の予防接種や健康診断)やるよ〜って言っても、ほんとかよって感じで最初時間になっても全然人集まらなかった。笑

 

 

でも結果的にめっちゃ集まってくれて、なんなら便乗して周りで服のフリマやら魚売りやら開催される始末😂


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ありがたやありがたや✨

 

帰り道でトラックの荷台に乗った看護実習生達が枝にひっかかる度に悲鳴をあげるのを見て、どんなに上達してもこの道は私のバイクじゃ無理だやと思いましたとさ。🏍️笑

 

「関わってみる」ということ


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セント・アントニーの元気な子どもたち

 

Chunglopo mukuwai!(夜の"How are you?" ≒こんばんは)

ザンビアは夜です(*^^*)

日本は元号が令和に変わりましたね!

 

前回の記事を読んで下さった皆さん、ありがとうございました✨

自分の考えたことを発信するというのは勇気がいるもので、沢山の反応を頂けてとても嬉しかったです!

 

今回は、前回の記事で分かりづらい部分があったかなーと思ったので、少し補完するつもりで書きます。

 

街に行く

 

先週、ビザ更新のためにルアンシャという街に行った。

 

ルアンシャは、私にとって「中都会」。

 

私の住んでいるセント・アントニー(露店が数件)を「田舎」とするなら、

ンポングウェ郡の中心地(大きめの露店街あり)は「小都会」、

ルアンシャ(外資スーパーあり)は「中都会」、

ンドラ(ザンビア第2・第3を争う都市)は「大都会」だと勝手に思っている。


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位置関係はこんな感じ(現在地がセント・アントニー)

 

ンポングウェの中心までタクシーで1時間半、120〜300クワチャ(約1200-3000円)

→そこからルアンシャまでミニバスで1時間半、20クワチャ(約200円)かけて行くので、

まあ街に行くのは大イベントなわけです。

 

ルアンシャの街には大きな南ア系スーパーが3つ、ファーストフード店や高級住宅街、車もバスも沢山。


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日本の中古バスも多い。スクールバスに真面目な顔したおじさんが乗ってるとなんかほっこりする。笑

 

そんなに都会だと田舎と比べて何が変わるかっていうと、物乞いの数が多いんだよね。

 

都会な分ある程度お金持ちな人も集まるから、スーパーや大きめのお店の周りにはいつも何人か子ども達が待機してて、お店に行く人にお金や食べ物をねだってる。

 

で、下手に国際協力とか学んでる者にとって「物乞い」って付き合い方が難しい。

 

「ただお金や物を与えたら依存心が育つ、彼らの能力を育てよう」「子どもを使って物乞いビジネスをする中所得層がいる」

等々…まあいろんな「あげちゃいけない論」があるわけです。

 

かくいう私も昔から「途上国(と呼ばれる国)」に海外旅行をしていたのと、ザンビアの首都に来たときから数え切れないくらい物乞いに会ってきたので、正直なところ「物乞い慣れ」してた。

 

要は、あまりに数が多いのでいちいち相手にできないから、「あげちゃいけない論」を言い訳に目を背けてたんだよね。恥ずかしながら。

 

思いつき

今回ルアンシャに行ったとき、ビザ更新をするためのイミグレーションという機関が14時までお昼休みだったので、

時間つぶしも兼ねてそのへんの軽食やさんに入った。

 

10クワチャ(約100円)のミートパイを買ったら(ありがたいんだけど)めちゃくちゃでかくて、3分の2食べ終わったところでお腹いっぱいに。


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今回と関係ないけど、ザンビアで大人気のファストフード・シャワマ。やっぱりでかい。

 

「どうしようかな〜残すのもったいないしな、、」と思ってたとき、

ふと物乞いの子どものことが頭によぎった。

 

「あ、そういえば大学の頃インドに行ったとき、物乞いの親子に余ったペットボトルの水をあげたら喜んでくれたなぁ。食べかけでも喜んでもらえるかもしれない」

 

そう思いついて、残りのパイを捨てずにバッグにしまってイミグレーションに向かった。

 

 (買ったばかりのものではなく余り物をあげようとするのは、「あげること」を特別なことにしたくないという自分への言い訳かもしれない)

 

食べかけのパイ

無事にビザ更新が終わってロッジ(宿)に向かう途中、まだ入ったことのない綺麗めのパン屋があった。

 

入口から入ろうとしたら、手前で"Madam"とか細い声が聞こえた。

裸足で歩く物乞いの子どもだった。

 

私はぎくりとして、とっさにいつもの癖で"Sorry"と言ってお店に入ってしまった。

 

で、パンを持ってレジに並んでたら「あ、そういえばパイ持ってたじゃん!」と思い出した。

 

すると会計のところで、店内でさっきとは違う物乞いの子どもに肩をたたかれた。

「パン買って」と言いたそうな目で見つめられたので、「おいでおいで」をして他のお客さんの邪魔にならないところに連れて行った。

 

「食べかけだけど、いい?」と聞いてパイの袋を渡すと、頷いて両手で受け取ってくれた。

 

よかった、渡せた…

 

とホッとして店を出たのも束の間、さっき店に入るときに声をかけられた物乞いの子どもが同じ場所に立っていた。

 

何も言わなかったけど、こっちを見つめてくる。

はっと心を冷たいものがよぎった。

さっき店内で他の子どもにパイをあげたのを見られてしまっただろうか。

 

他の子にはあげたのに。ほんとごめんね…

最初よりさらに後ろめたく思いながら、そこを後にした。

 

 

忘れられない

パン屋を去ってからも、あの子に抱いた申し訳ない気持ちが消えなかった。

あの目を思い出す度、胸の奥がチクッと痛んだ。

 

そしてその夜、ロッジのレストランで注文したチキンとライスが例のごとくボリューミーだった。

食べきれないなと感じたとき、ふと思いついた。

 

「そうだ!これをパッキングして、明日あの子にあげよう」

 

そして次の日、パック詰めをしたご飯を持って街に出掛けた。

 

用事を済ませて、夕方、昨日と同じパン屋に行ってみた。

 

でも、どうだろう。

 

今度はパン屋の前に誰もいない。中にもいない。

 

時間が遅すぎたかな…それとも、たまにしかこない「ビジネス物乞い」だったのかな…

むしろあの子が「ビジネス物乞い」で、ほんとは食べ物に困っていないといいな…

 

などと色々考えながら帰路について、

結局パック詰めのご飯は道沿いでキャッサバを売っていた別の子どもにあげた。

 

 

「関わり方」を変えること

第三者がこの話を聞いたら、

「なんだ、結局貧しい子どもに食べ物をあげられたんじゃん。あげた数的には同じ」

と思うかもしれない。

 

でも、私の胸の痛みは、他の子にご飯を渡せても消えなかった。

 

私にとっては「そのへんにいる子どもの誰か」ではなく、「あの子」でなければならなかった。

 

この気持ちは、紛れもなく最初に「あの子」と関わったことから生まれた。

 

あのとき、パン屋でいつものように素通りして、誰にも何もあげなかったのなら、私は「あの子」のことを忘れていただろう。

 

「あの子はいま何をしているだろう、ちゃんとご飯は食べれているかな、両親はいるのかな…」と思いを馳せることもなかっただろう。

 

前回の記事で書いた通り、

確かに「途上国(と呼ばれる国)」の現状は、日本人のイメージよりもはるかに明るい。

私はアフリカのリアルな姿、良いところを沢山伝えていきたい。

 

でも、

だから協力は必要ないとか、

悲惨な姿ばかりを伝える支援団体や援助機関は悪者だとか、

そんなことを言いたい訳じゃない。

 

私が伝えたいのは、

皆のアフリカへの「関わり方」を変えたいということ。

 

多分私なら、もしも社会人として普通に日本に暮らしていたら、

「あぁまた広告だ。世界には変えなきゃいけない問題が沢山ある。寄付を呼びかける団体も沢山ある。

でも、問題が多すぎてどれに手を付ければいいのか分からない。どの団体がちゃんとしているのかも分からない。そもそも自分一人が寄付したところで雀の涙程度かもしれない。

…あぁ、難しすぎ。やっぱり考えるのやめてスマホ見よ。」

となっていたかもしれない。

 

でも、もし学校や職場、旅先や出張先で、アフリカ出身の友達と出会っていたなら。

ザンビア人と一人でも友達になっていたなら。

 

ニュースや広告でザンビアを見たとき、

日本の街中で肌の黒い人が困っているのを見たとき、

きっと気付けば目で追いかけるようになって、「大丈夫かな」と気にかけるようになるはずだ、

と思うんだ。

 

「国際協力」とか「世界平和」とか、

そんな大それたキャッチコピーをわざわざ掲げなくても、

皆が自然に他の国の人のことを想いやって、

「大切な友達だから助け合いたい」と気遣い合えるような、

そんなゆるやかな関係を、私はつくっていきたい。

 


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