抜け出そう、援助漬け。
Mulisambilileni mukwai?(学んでいる人への"How are you?"≒勉強どうだい?)
早いもので、ザンビア生活も7ヶ月目に突入しました!
ここでちょっとしたつぶやきと決意表明。
私の配属先であるセント・アントニーヘルスセンターには、やたらと援助機関やNGOが新しいプロジェクトを立ち上げに来ます。
昨日はあるカトリック系のNGOが栄養改善プロジェクトの一貫で種を配るために人を招集し、
今日はお昼ごろ別のザンビアのNGOがビレッジバンキング(マイクロファイナンス的な低所得者向け資金運用)の説明で訪れ、
午後は農業系の企業とコラボした食糧団体が野菜の種や農薬の宣伝のために農家を集め…。
いやいや待て、さすがにプロジェクト多すぎじゃない?
牛を利用した耕作機械の説明中。
ちなみにどの団体も、ザンビア人が運営してはいるものの、バックにはUKAID(イギリスの援助機関)などの先進国ドナーがいます。
なんでこんなに来るのかと同僚に聞いたところ、セント・アントニーはンポングウェ郡の中でも援助団体が最初に入るモデル地域のようになっているそう。
要は、日本にアメリカの新しいパンケーキ店が進出するときまず東京の表参道に出店する、みたいな感じなのかな…(セント・アントニーは比べようもないくらいめちゃ田舎だけど)。
あとはミッション系(キリスト教関連の支援が入りやすい)てのもあるだろうけどね。
さすが本業の農業のこととなると皆興味津々。
まあ別に支援が入って頂けるのはありがたいんですが、問題なのは援助を受け続けてきた村人の姿勢。
赴任して初めの頃コミュニティボランティア向けにアンケートを取ったとき、
自分の地域の保健課題に対して"あなたは"何がしたいかっていう項目に、
「○○が足りない、資金をくれ」「JICAに○○(モノ)の支援を求める」っていう意見がすごい目立った。
もうね、外部からもらうことが当たり前になってるんですよ。自分がなにをしたいか聞かれてる場面でも、誰かからもらえる前提で考えてる。
私はこの村の人々の「受け身の姿勢」にずっと課題を感じてました。
でも最初から薄々勘づいてはいたけど、やっぱりこういう姿勢にさせてしまったのは間違いなく私達「先進国」がやってきた「援助漬け」のせい。
ザンビア出身の著名な経済学者ダンビサ・モヨさんの言葉を一部借りると、
「先進国」が私益のために始めた「援助ビジネス」にドブドブに染められて、無自覚に懐柔されてきた結果といえるのかもしれない。
最初のうちはそれでよかったかもしれないけど、今後ザンビアが持続可能な形で経済的に豊かになっていくためには、
やっぱりそろそろ次のステージへ移行する、つまり自立してやっていく姿勢をもつ段階に入るのが必要なはず。
そこで、最近出した2年間の活動計画書には、
「コミュニティボランティア(=村人)のエンパワメント」をテーマに活動を組み立てました。
なんかこう書くと漠然としちゃうけど、要は
「援助機関の言いなりになるんやない、主役はあんたらや。逆にあんたらが自分達の目的を果たすために、援助機関を利用する気持ちでやらなあかんねん」
ってことを伝えたい。
(なぜかエセ関西弁 笑)
そのために自分達の力で課題を見つけ行動を起こし、解決していく方法を伝えられればと思ってます。
援助機関の1つであるJICAから派遣されてる身で援助機関を利用しろって言うのも変な話なんですが、
ここに住んで村人に近い立場にいられるからこそ、
今自分がやるべきことは
他の援助機関と同じようなプロジェクトを一方的に立ち上げることじゃなくて、
彼ら自身の中に素晴らしい力がすでにあることを気付かせてあげることなんじゃないか、と思うのです。
もちろん2年間でそんな大きな目標を成し遂げられるなんて自惚れたことは思ってませんが、
私は私のちっぽけな存在なりに、
彼らに外への依存心じゃなくて自分の力への誇りを持つこと、
自分達自身のポテンシャルを信じるためのきっかけ、
その最初の小さな芽をミジンコくらいでも提供できたらいいな、と思ってます。
というのも。
今まで日本で求職者のキャリアアドバイザーや社内のチームリーダーをしていて、
「人の可能性」ってものに気付いたとき、
そしてその可能性をその人自身が見出だしたときのエネルギーを目の当たりにしたとき、
すごくワクワクしたんです。
この村のコミュニティボランティアさんが同じように自分の可能性に気付いたところを想像したら、やっぱりものすごくワクワクする、ワクワクが止まらない。
だからこそ、これが私にとって
「やりたいこと」でありつつ、「求められていること」「できること」
との3つの円が重なりあう場所だと信じています。
まあ、とりあえずぼちぼち私なりにやってみます!
…さて、明日も村まで数時間歩きますか。笑